ピアサポーターを目指す私の考え方

皆さんは統合失調症やうつ病と聞くとどのような考えを抱きますか。

私は統合失調症を発症してから5年たちますが、最初は甘えだとか病院に行く必要はないだとか、どこから得たかわからない情報を身内から言われることが多くありました。つらいときに声を挙げてもアドバイスをしてきたり。

私は人の気持ちをこうだと決めつけて理解した気でいる人の気持ちはわかりません。社会的に成功していても、人の苦しみに寄り添うことが得意とは限らないと感じています。

それらを理解したうえで、健常者の精神障害に対する「甘え」という表現の根本の考えや、精神障害のいかれたクレイジーな誤解に関して感想を述べていきます。

まず、最近はSNSの普及により物事が拡大解釈されることが多い気がします。(私が問題提起していること内容も含め)

例えば、ネットミームなどがあります。あのいわゆる「ヤバい人」達なんかは、コメント欄を見ると障害だとか、あろうことか統失だと書かれていて心を痛めています。

ただ、すべてに過敏に反応しているかというとそういうわけではなく、先ほど述べた「甘え」という表現には中立の考えを持っています。

私自身、さまざまな精神障害の当事者の方と関わる中で、苦しさを理解してほしいという気持ちが強くなりすぎてしまう場面を見てきました。私もその気持ちはよく分かりますが、理解してもらうためのプロセスも大切なのではないかと感じています。例えば、理解してもらえなくて苦しいという感情に対してどう対処するかを考えることが重要だということです。私は一度病気で入院して、1年ほど自宅療養とデイケアセンター(療養施設)に通っている時期がありました。そこで学んだことはみながつらい精神の障害を持っていてもそれぞれが日々目標や楽しみをもって活動することで、自分の生活が豊かになっていくということです。

まず、わかってほしいという気持ちは当然誰でも持っていて、それのための行動を考えることが重要だと思います。

しかしそれは言葉にして伝えることはカウンセラーとして好ましくありません。それをどう気づかせるかを考えて支えられるカウンセラーを目指します。カウンセリングの目的はそこにあると考えます。

私の性格上、このブログの文章のように考えてしまうので仕事では邪念となり、集中力が足りないと思うことが多々あります。これは私の永遠のテーマです。

でもこれを何かに活かしたいと思い、ピアカウンセラーを目指しています。

とはいえ、すべての「甘え」という発言に対して理解できるかと言われればそういうわけでもなく、理解しようとしない人の投げやりな「甘え」という表現には道徳心の欠如を感じ、それは好ましいとは言えないと考えます。

中立な立場と自分の意見

当事者カウンセリング(ピアサポーター)を目指すために、柔軟な考えを言葉にして、あくまで中立な立場で物事を考えることが精神の安定と信頼の獲得を生むと考えます。

とはいえ、時には自分の意見を持つことは重要で、お酒の飲み方に関しては中立な立場からは一線を画しています。

普段お酒を飲まない私は、お酒を飲む周りの方々に健康にいてほしいので、飲みすぎないように願っているのですが、身内にはこの願いが届かないほど、結構お酒で盛り上がる光景を見てきました。

最初のほう(ほろ酔い程度)はマイルドな本音やひょうきんさが見れていいのですが、だんだんヒートアップしていくと、人に対する本音に変わったり、普段の姿とは変わりすぎた部分が顔を出して、その人がブチ切れた姿を想像してしまったりしてしまいます。

なぜかわからないけれども、なんか少し怖い。

そしてなんといっても、子供のころはジュースで乾杯して、無邪気に遊んで、それがもうできないと思うと寂しい。

お酒を飲むことを時として大人になると表現するけれど、それは私の中では悲しいことです。

統合失調症を経験してから、自分の考えや感じ方が症状によるものなのか、それとも自然な感覚なのか、迷うことがあります。

家族は私がお酒を飲むことに反対しています。それは薬との関係や健康面を考えれば理解できますし、私自身も健康には気をつけたいと思っています。

ただ、その一方で、私が家族に対して「健康のために飲みすぎには気をつけてね」と伝えたとき、あまり真剣に受け止めてもらえないと感じることがあります。笑って流されたり、少し不機嫌な反応をされたりすることもあります。

私はお酒を飲むこと自体を否定したいわけではありません。人それぞれの楽しみ方があると思います。ただ、自分の気持ちとしては、「意見が違っても、一度はまじめに向き合ってほしい」と感じることがあります。

そうした経験が重なると、「自分の考え方がおかしいのかな」「私がずれているのかな」と悩むこともあります。実際には、お酒を飲む人にも飲まない人にもさまざまな考え方があると頭では理解しています。それでも、自分の中に悲しさや不公平さのような感情が残ることがあります。

やっぱり私は子どもの頃のように、ジュースで乾杯しながら無邪気に過ごしていた時間を懐かしく思うことがあります。だからこそ、お酒による楽しさよりも、素面のままで本音を話し合えたり、お互いを思いやれたりする関係に魅力を感じます。

もちろん、これはあくまで私自身の価値観です。お酒を楽しむ人を否定したいわけではありません。ただ、私は「楽しく過ごすこと」と同じくらい、「誠実に向き合うこと」も大切にしたいと思っています。

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