これを書こうと思ったのは、友人に、今までかかわった方々に、本当のことを知ってもらいたいと考えたからです。いくら仲良い人でもこんな話はしたくないし、できないけれどこの形なら伝えやすいかな!結構重い話もありますが、結果から言うと今は元気でやりたいことをやっていて楽しいので安心してください!読んでくれてありがとうございます。感謝申し上げます。ではよろしくお願いします!!
病気を発症してから現在まで
私は現在25歳です。自己紹介のところでも紹介したように統合失調症という精神障害を持っています。この病気を発症したのは2021年の12月ごろで、発症して約5年半が経過しました。発症時は大学2年生で授業やアルバイトを休みがちになっていきました。初期症状は言葉にできないくらいの絶望感と不眠でした。不眠により、どんなに疲れていても頭が冴えてしまい夜は全く眠れず、授業も全く頭に入らなくなり、自分を責めるという負の連鎖でした。最初は市販の睡眠薬や漢方などで症状の改善を試みましたが、2か月ほどしても改善せず、日に日に不安感や考え事が増えるばかりだったので、心療内科に行くことを決めました。結果的には大学は落第したのち、1年休学をしました。
最初、「心療内科に行っている私」について考えたとき、人生の終わりなんだなと絶望しました。いままで楽しく幸せに仲間や家族とすごしていたのに、なんでって思いました。でも、今の自分から言いたいのは、その判断は間違っていなかった。過去があって今がある。
当時、心療内科では「ノイローゼ」との診断を受けました。その診断には不満が正直あったけど、先生がすべて正しいと思っていたから薬をもらって治る見込みがあるだけでうれしかった。でも、これが精神薬、精神科の落とし穴。薬は効かなければ効かないほど改善を求める。強くしてって求めるとその先生はポンっとお薬を強くする。私は、今考えると精神の主治医と患者の合う合わないは『No!』を言えるかどうかなんだろうなと思いました。(その根本に病気を見抜けるだとかがある)
しかし、どんなに薬を強くしてもらってもよくなることがなかったです。1年ほどその小さな心療内科に通った後、結果的には通院をやめました。次第に判断力が鈍り、とんでも発言をするようになりました。大学4年生から「一人暮らし」をしたいと言い出しました。この体で、この体調で1人暮らしなんてできるわけない。親に懇願して一人暮らしを始めます。
2022年の3月、大学4年生から。当時はとりあえず一人になりたかったのだと思います。春休みが終わり、学校も再開しました。でももうやけくそになっていたので、レポートの課題もせず、論文もテキトーに書いて、ゼミの発表資料も作らず自分だけ発表しないで。当時のゼミのメンバーや一緒にいる友達には、大迷惑をかけても、何も感じず、変な声は聞こえ(幻聴)ばかり聞こえ周りの声は頭が処理しきりませんでした。ゼミのメンバーや先生には心から謝りたいです。
みんなが敵に見えた当時(ほんとごめん)、唯一の癒しがあった。授業をさぼって行った、学校の裏の田んぼ道の側溝の隙間や、真夜中の草原。その時は夜ろくに寝れないから開き直って暗闇の中でサッカーとか、自転車で探検したりしてた。あの記憶はいい思い出として頭に残っている。それと、いくら自分がおかしくても、一人だけいつも声をかけてくれる人がいた。(たいきくんって子)面白がられているとしても、一緒にサッカーしてくれたり、距離を縮めようとしてくれたり、今考えるとほんとありがたかったなあ。
私は留年したのでその子とはお別れになっちゃったけど、今も元気しているかなあ。(元気でいますように)
話をもどして、留年した後はしばらく放浪カモメのように行く宛てもなく当時住んでいる地域を探検したり、ノートにいろいろイメージを書いたりしていました。(今は判断力が回復してこうして思ったことを書き出せるけど、当時は変な頭のイメージでめちゃくちゃなイメージを書いたりしたりしてた)保健室の先生と面談をしていたのですが、留年が決まってからは自暴自棄になり、ずっと面談をすっぽかして先生にも周りにも大迷惑人間でした。しまいには富山に住み込みバイトで1か月新潟を離れ介護も経験しましたが、当時の私はもうめちゃくちゃだったので、いろんなものが見え、聞こえめちゃくちゃにして帰ってきました(笑)そこの勤務先の代表者の方が私の親に連絡をして、大きな精神の病院に行き、今の病気が発覚します。明らかに最初に診断された「ノイローゼ」ではなく、『統合失調症』でした。周りの言葉に惑わされて、自分なりに考えた結果がこれでした。
最終的に2023年の8月(4年制の大学卒業した方は社会人1年目)に大きな精神科の病院に入院しました。まず、入院初日は看護師のカウンセリングを受けます。今何が聞こえますか?と問われ、私はボイラーの音が聞こえていたのでそれが聞こえると答えました。幻聴でした。対人恐怖でろくにに人と話せなかったので、即入院でした。当時、私は人の目線や表情からビームが出ているように見えていました。
声も怖くて出せなくなっていた。だけど、2か月の薬物療法と認知行動療法、カウンセリング、患者と話せるようになるうちに症状はなくなっていきました。
退院してから(2023年10月から)は病院の療養施設に通い、スポーツやクラブ活動を行いました。この経験が今の自分の行動の軸になっていると思います。サポートしてくださったカウンセラーの皆さんや、看護師の皆さんには今もお世話になっており、自分の活動を通して恩返ししていきたいと考えています。
徐々に戻ってきたころ(2024年4月から)は大学を再開しました。そして無事に卒業できました。周りのサポートしてくださった方々には深く感謝いたします。
機能の障害は検査でも正直まだ出ると思います。仕事をしていても、他の人より、頭の回転が遅かったりします。でも、もとからそんなに頭の回転早くないから、もとからじゃねって開き直っています。
2025年の4月から県内の大学の事務員をさせていただいております。障害者雇用のため勤務時間の配慮をいただいておりますが、周りの方々も一人のメンバーとして仕事を任せてくれるので非常にありがたく、目標をもって活動しています。相変わらず、ポンコツで、それが治ることないものだと思いますが、皆さんが普通に接してくれるので本当に毎日が楽しいです。この楽しさを絶対に還元したい!そんな思いで活動を続けていきたいです。
この前も友達に話したけど、筋トレとかランニングとか自分のやりたいことを勉強する時間が楽しくて。この気持ちを同じ障害や気分の落ち込みを伴う障害をお持ちの方に本当に届けたい。ロックンローーーール!!センキュー!!


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